後世につながる災害体験談
NHKスペシャル「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」
3月10日放送/21:00~21:55/日本放送協会
東日本大震災の発生当時、自身もその渦中にありながら被災者を支える立場だった自治体職員たち。彼らはあのときどんな思いで職務にあたっていたのか。その体験は立場上、詳細を語りづらいものが多々あった。本作はこれまで語られてこなかった彼らの証言にカメラを向けた。全編に綴られたのは現場ならではのリアルと個々人が抱えた葛藤や悔恨だ。
証言を担ったのはヘリコプターで人命救助にあたった職員、避難所の対応をした職員など8人。誰もがあのときの自身を問い直すように訥々と言葉を紡いだ。なかでも印象的だったのが「遺体」や「埋葬」に関わった職員。遺体を運び続けた職員は「不謹慎かもしれませんけど笑って介抱するとか、今日も戻ったら(食事は)パン1個しかねぇとか、そういう他愛もない話をしながら何とか過ごした」と、業務を続けるため感情移入を意識して避けたと明かした。土葬に携わった職員は埋葬後に「かわいそう」という声が親族から届き、改めて遺体を掘り起こし火葬に移した体験を振り返った。正解のない状況で遺体に接し続けたことへの複雑な思いを吐露した。カメラを前に語りづらい体験や心情を言葉にするのはかなりのプレッシャーもあったはず。だが、彼らの証言は震災の見えづらかった側面を真摯に照らし出した。
番組のベースとなったのは宮城県と気仙沼市が1000人を超える自治体職員に実施した聞き取り調査だ。震災後十数年という時の経過がその実施を後押ししたのだろう。なお、災害に見舞われた当事者の体験談をありのままに記録する手法は、文化人類学のアプローチで「災害エスノグラフィー」と呼ぶそうだ。日本では阪神・淡路大震災から行われ、その資料は東日本大震災時に宮城県職員が読んで災害対応の道標にしていた。また今回まとめられた聞き取り資料は能登半島地震の対応にあたる自治体に届けられていた。語り継ぐ体験談は次の災害時において職員たちの有用な拠り所になる。本作はその映像版として後世へ繋がっている。(松田健次)
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春日×英会話の成功事例
「世界の春日プロジェクト」
3月26日放送/21:00~21:50/日本放送協会
オードリー春日俊彰のコミュニケーション能力は国境を越えグローバルな場でも、いや海外のほうがさらに輝くということがこの番組を見るとよくわかる。
1年前から、相方の若林正恭にも家族にも内緒で英会話の特訓が始まる。教師たちの方針は、細かい文法などにはこだわらず、「チャンク」(言葉のかたまり)を頭に叩き込むこと。それを毎日の映像日誌や外国人観光客への街頭インタビューで実際に使ってみることで磨き上げ、コミュニケーション能力を高めていく。この方法がサービス精神旺盛な春日には合っていて、その上達ぶりを見るのが楽しい。ビンゴ形式でのゲーム性も取り入れ、そのうちにだんだんと春日の英語での反応が自然になっていくのがわかる。
そこまで上達したところで単身アメリカに降り立ち、ハンバーガーのトッピングを注文し、マッサージ体験をリポート。そして無謀にもハリウッドのキャスティング・ディレクターに一人で売り込みに行くのだが、英語での実演が高く評価されたのは見事だった。
最後は初対面の家庭でホームパーティーに参加するが、そこでのなかなか打ち解けられない子どもとコミュニケーションをとる距離感がとてもいい。
春日は言葉だけでなく仕草、表情が伝えたいことを雄弁に物語るので、海外でも意思の疎通がスムーズ。気後れする、自信がない、とりあえず静観するなど日本人が英会話実践を苦手に感じる数々の欠点を、春日の強気な芸風が補っていることがよくわかる。ここに着目した制作陣の眼力に敬意を表したい。
ここまで来て、これまで見てきた模様はEテレの新しい講座番組になると明かされる。「えっ、これは長大な番宣番組だったの!」……いや、どうもそう単純な話ではないようだ。エンタメ番組だけで終わるのはもったいない、視聴者の英会話習得意欲促進に繋がると、Eテレでも判断したらしいのだ。NHKでは講座番組へのエンタメタレントの起用がさかんだが、春日×英会話というように十分意義のあるものであるのなら、今後も大いに期待したい。(加藤久仁)
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不寛容な社会へのメッセージ
金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」
1月26日~3月29日放送/22:00~22:54/TBSテレビ TBSスパークル
中学校の体育教師で野球部の顧問を務める主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は、偶然、昭和の1986年から令和の2024年へとタイムスリップする。一方で、社会学者の向坂サカエ(吉田羊)とその息子・キヨシ(坂元愛登)は令和から昭和へ。
市郎はコンプライアンス意識の欠如した昭和を体現する人物だから、令和に戸惑いその窮屈さに物申す。だが本作は、昭和の価値観で令和を正そうとするわけでも、昭和はよかったと言いたいわけでもないだろう。平成を経た令和の現在、ハラスメントに屈せず声を上げることや、多様性の包摂など、私たちが多くのものを獲得してきたことは尊重されるべき事実である。
では、令和は本当に生きやすい時代になっているのか? そこに本作の問いがある。本作は、昭和を令和の視点から、令和を昭和の視点から相互批評的に見ることを通して、より生きやすい世の中を模索するドラマである。タイムスリップしたことで、市郎やサカエや市郎の娘・純子(河合優実)らは自らが生きる時代の価値観を疑い、考えを更新していくのだ。
最終話で主要キャスト全員が歌う「ちょっとのズレならぐっとこらえて多様な価値観 寛い心で受け入れて寛容になりましょう」という歌詞に、このドラマのメッセージが凝縮されている。これはもちろんハラスメントや差別を我慢せよという意味ではなく、自分を正義の側に置いて一方的に糾弾する不寛容な社会への、ドラマの側からの提案なのである。それはSNSなどによる批判や炎上を恐れて萎縮するテレビの制作現場へのエールでもあるだろう。
中盤で市郎も純子も阪神・淡路大震災で命を落とすことがわかるが、その事実をなかったことにも、悲劇的に描くこともしない。本作が問いかけるのは、「今」をどう生きやすくするか、だからだ。
演技力はもちろん、唐突に出現するミュージカルシーンで抜群の歌唱力を見せつけた阿部サダヲ、仲里依紗、吉田羊、河合優実ら俳優たちにも拍手を送りたい。(岡室美奈子)
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下山事件の闇と森山未來の熱演
NHKスペシャル 未解決事件 File.10「下山事件」第1部 第2部
3月30日放送/19:30~20:50 22:00~22:55/日本放送協会
1949年、国鉄職員10万人解雇の交渉をしていた下山定則総裁が轢死体で発見された下山事件。
第2部のドキュメンタリーでは初めて明らかになった検察の15年に及ぶ700ページ余りの捜査資料とアメリカの関係者の証言で事件の闇に光を当てる。GHQの下にあった諜報機関の日系二世は亡くなる前に、娘に「下山は共産主義側につくのではないかと疑われ暗殺された」と話していた。米ソ対立の中で、アメリカが黒幕となって下山を暗殺したとする見方に踏み込んでいる。
第1部のドラマは、こうした捜査資料や証言を踏まえ、下山事件の主任検事、布施健を中心に事件を追う。
事件が発生した占領期、ソ連の犯行だとする韓国人の供述が事件現場の状況と一致したが、韓国人はアメリカと繋がっていた。その関係を探ろうとする捜査はGHQの圧力で打ち切りに追い込まれる。
事件から10年、日本は独立を取り戻し、布施はなお水面下で捜査を続けていた。アメリカの諜報機関や旧日本軍の関係者も事件に関わっていたことが明らかになる。しかし、犯行の実行に絡んだとみられる人物は亡くなり、真相の解明には至らない。布施は、アメリカとの間に何があったのか吉田茂元首相に聞きたいと上司に訴えるが認められず、事件は時効を迎える。
1976年、布施は検事総長としてロッキード事件の捜査を指揮し、田中角栄前首相を逮捕する。事件はアメリカの議会証言が端緒で、布施は「金の流れは確かにあった。しかし、独立国家の検察としてわれわれは本当に独自の判断を下しているか。その自問は27年間続いている」とつぶやく。
ドラマは、布施の生きざま、人々の戦争への思い、米ソ対立の中での日米関係などさまざまな要素を積み重ねて事件の闇に迫ろうとする。布施を演じた森山未來が捜査への執着と真実を突き止められない無念さをよく表現していた。「事件の後に敷かれたレールの先で今の日本社会が形作られている」と、番組は今に生きるわれわれに問いかけている。(石田研一)
★「GALAC」2024年6月号掲載