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【ギャラクシー賞テレビ部門11月度月間賞】-「GALAC」2024年2月号

コンプライアンスという妖怪

「有吉弘行の脱法TV」
11月13日放送/24:25~25:25/フジテレビジョン

コンプライアンスという名の妖怪がテレビを徘徊している。“テレビがつまらなくなった”ことも、“若者のテレビ離れが加速した”ことも、すべて「コンプライアンスのせい」。いつの間にか、コンプライアンスは面白くない番組の免罪符のように使われてきた。
そのコンプライアンスには明確な線引きがあるわけではない。それゆえ、自主規制はきつくなる一方で、結果、ますます身動きがとれなくなるという悪循環。見ているこちらも、さして疑問を持つこともなく、なんとなく受け入れてきたのが現状だ。
この番組はそんな鵺のようなコンプライアンスに挑み、キワキワのラインはどこなのかを検証していくものだ。地上波テレビではできないとされていることを、どこまで映すことができるのか。どこまでがOKでどこからNGなのか。その抜け穴を探る番組だ。判断をするのは局のコンプライアンス担当者らによる番組コンプライアンス委員会。これ以上は放送不適切となったタイミングで画面がカラーバーに切り替わり、VTRは強制終了となる。
一つめは「タトゥー」。「スポーツ選手やミュージシャンのタトゥーは映しても大丈夫なのに、芸人が駄目な理由がわからない」と有吉。ならば、最初からタトゥーが入っているアーティストを芸人にすれば、テレビでも映すことができるのでは、とタトゥーありのラッパーに依頼する。フリップ芸をやりたいと自らネタを作り舞台に立ったラッパー。ところが、ネタをやる直前でカラーバーに切り替わってしまった。「タトゥーを見せた状態でネタをするのは前例を作ることになるので判断が難しい」という理由だった。
ほかにも「乳首」「著作権侵害」「大人のビデオ」を検証し、コンプライアンスがいかに曖昧なものか、その実相を明らかにしていく。企画・演出は、「ここにタイトルを入力」の原田和実。テレビの常識を壊し、新しい表現に挑み続けるディレクターがまたやってくれた。「コンプライアンス恐れるに足らず」。原田に続く猛者が現れることを期待したい。(桧山珠美)

モキュメンタリーの試み、その新旧

ドキュメント20min.「ニッポンおもひで探訪~北信濃 神々が集う里で」
11月19日放送/24:00~24:20/日本放送協会

放送後、「この番組見た?」という興奮を含む反響がSNSで拡散された。なかには「その手法があったか」と新しい試みに出会った際の感想も見られた。
番組はごく普通の紀行ドキュメンタリーとして始まる。俳優の宍戸開が北信濃の沓津集落を訪問するが、出会う人々の様子が所々ぎこちない。見せ場であろう秋祭りの獅子舞は探り探り。村人たちの唄声も心もとなく囃子の笛もかすれがちだ。やがて宍戸が集落を去るシーンになり画面下にエンドロールが流れる。だが、番組は20分枠なのに時間はまだ半ば。すると宍戸がハッと何かに目を奪われる。映し出されたのは離村記念碑(!)。実はこの集落、50年ほど前に廃村となっていた。そして後半、実は集落の文化や風習を再現してテレビで記録する企画に村人たちが集っていた……という真相が明かされる。約一カ月前から打ち合わせを始め、準備に励む過程が紹介され、前半のフェイク演出と後半のメイキングドキュメントが見事に合致。騙された後に温かい余韻をもたらした。
昨今、「モキュメンタリー」の手法は若手制作者によりさまざまなアレンジで表現されている。だが、意図的に(真偽不明な)違和感を放置して反響や考察を煽る傾向も気がかりだった。同番組は違和感にも意義があり伏線で回収する構成を成立させた。
「過去に同種の展開による名作が存在した」と委員の間で話題になった。1973年放送の「遠くへ行きたい」(読売テレビ)での「伊丹十三の天が近い村~伊那谷の冬~」である。村にある婚礼歌を撮影したいとロケハンで伝え、本番で改めて村を訪れると大々的な「結婚式」が用意されてしまう。村側のサービス精神ゆえの“やらせ”である。番組はドキュメンタリーであり虚実の狭間に立たされるが、結局は式の模様をそのまま流し、最後に「実はこれ、村の人のお芝居なんです」とタネを明かし驚かせた。演出は今野勉。「ニッポンおもひで探訪」と「伊丹十三の天が近い村」。半世紀を挟む両番組の反響、その比較も意義が深そうだ。(松田健次)

差別を”起こす”ネット時代

NNNドキュメント’23「いろめがね~部落と差別~」
11月19日放送/24:55~25:50/山口放送

「寝た子はネットで起こされる」。部落差別をめぐり状況が新たな深刻さを帯びてきている。語り継がれなければ部落の存在も忘れられていくだろうから人権教育などであえて「寝た子を起こすな」という議論もあると聞く。しかし、現在も6000に上る被差別部落とされる地域があり、いわれなき差別は根強く続いている。さらにインターネットの中で被差別部落の地名や、そこに住む人々の個人情報を晒すなど、部落差別の再生産ともいうべき事態が広がっている。なかにはそれを出版する動きもあり、2016年、当事者248人が原告となって、ネットからの削除と出版差し止めを求める裁判が山口県で起こされた。
番組では訴訟の中心人物でもあり、自らの被差別部落出身であることを明かして活動してきた山口人権啓発センター事務局長の川口泰司さんを軸に、今も土地差別、就職差別、結婚差別などに直面している若者たちや、ネットの中傷に端を発する脅迫の手紙、無言電話、引っ越し先の住所まで暴露されるなど、さまざまな加害行為に苦しむ人々の現状を描き出す。
出版差し止め裁判で川口さんらは憲法にも保障されている「差別されない権利」を訴えているが、出版社は出版・表現の自由、検閲の禁止を盾に正当性を主張。一審では部落差別を禁止する法律はないとして、プライバシー侵害しか認められなかった。しかし考えてみれば、こんな前近代的な差別が延々と続き、何も違法性が規定されず被害者が救済されぬままに放置されていることはおかしな話である。
「自分は差別しないから」学ぶ必要がないと思っている人ほど、デマと本当の区別がつかない。「無知、無理解、無関心な人ほど、無自覚に人の足を踏む」という川口さんの言葉は、差別意識はないと思っている者にも突き刺さってくる。原告らの粘り強い闘いで、この夏の控訴審ではようやく「差別されない権利」の解釈が少し広げられたという。差別が改めて増幅されようとしているネット時代、悲惨の連鎖を断ち切る法的整備の必要性も強く感じた。(古川柳子)

パターンを破ったバラエティ番組

「それって!?実際どうなの課 ゴールデン2時間SP」
11月28日放送/19:00~20:54/中京テレビ放送

森川葵といえば、ドラマや映画でおなじみの俳優の一人。だが、ここでの森川は違う顔を見せる。
芸能人が世の中の気になるウマい話を実際に検証してみるバラエティ。そのなかで森川は、ビリヤードやテーブルクロス引きなどさまざまな技に挑戦。するとその道の達人たちが驚愕する速さで高難度の技を次々と成功させ、「バラエティの法定速度を守らない」「ワイルド・スピード森川」の異名をとるようになった。
そして今回のスペシャルでは、その一つの集大成としてスポーツスタッキングで世界に挑戦。するとここでもあれよあれよという間に日本記録更新、日本代表選出、そしてアジア大会出場と歩を進め、金銀銅3つのメダルを獲得する偉業を成し遂げた。
芸能人が難題に挑戦するバラエティでは往々にして、失敗続きで諦めかけるが、それでもくじけず頑張ることで最後の最後に“奇跡”が起こり、課題を達成するという流れになる。確かにそれも感動的だが、一つのパターンになってしまってもいる。
その点、この番組の森川はひと味もふた味も違う。卓越した集中力、そして「大丈夫」「私はできる」と自分を信じ切るポジティブさで壁を軽々と越えていく。その様はパターンの窮屈さからも自由であるがゆえに痛快だ。そして何よりも、いつも決してブレることなくひたむきな彼女の姿にはさわやかな感動がある。
ひたむきさは、もう一つの企画に挑戦したチャンカワイにも共通する。アフリカまで行き、「ずっと遠くを見続ける」という視力回復法を、チャンカワイはひたすら実行し続ける。その途中、かつてチャンカワイが実践した別の視力回復法によって病気で失われた視野が蘇ったという視聴者からの感謝の手紙に号泣する場面も。それはこれまでのチャンカワイの愚直な挑戦の歴史を知っているがゆえにいっそう感動的だった。
バラエティと真面目さは、一見相反するものだ。だがこの番組は、実は両立し得るものであることを教えてくれる。そこには、バラエティ番組の一つの豊かな可能性が示されている。(太田省一)

★「GALAC」2024年2月号掲載