大河を知り尽くす三谷幸喜の最高傑作
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
1月9日~12月18日放送/20:00~20:45/日本放送協会
1年続く大河ドラマを停滞も中だるみもなく走りきるというのは至難の業だが、大河ドラマを知り尽くす三谷幸喜の脚本はまったくそれを感じさせなかった。
このドラマは鎌倉幕府の成立を描いた群像劇だが、隠しテーマとして13人に上る同士討ちを描く。つまり十数回のヤマ場があらかじめ用意されていた。しかも敵ではなく、見る人がどっぷりと感情移入している人たちの凄惨な死を次々に見せられるのだ。その一方、絶妙なバランスで現代に通ずる “北条家ホームドラマ” に癒やされるのも三谷脚本ならでは。人間の喜怒哀楽は1000年ぐらいでは変わらないのである。
ただ、北条ファミリーに焦点を当てれば、二人の子どもを殺される政子の心情が大きな謎として残る。
こうした意図をしっかりと受け止めた演出陣、柔軟に演じ切る俳優陣との歯車がしっかりと嚙み合って、大河ドラマ本来の人の心を揺さぶり、歴史の醍醐味を今に蘇らせる人間絵巻が生き生きと展開された。
物語は頼朝(大泉洋)が北条館に匿われ、義時(小栗旬)の姉・政子(小池栄子)と結ばれるところから始まる。名門だが力のない流人が東国武士の不満を集め一大勢力となって全盛を誇る平家を壇ノ浦に葬り、義経が逃げ込んだ奥州藤原氏を滅ぼすところまでが 一気に描かれる。ここでの義経(菅田将暉)の人間としての平衡を欠く天才ぶりが振り切れていて見事。
存在感のあった頼朝の死をはさみ、鎌倉幕府が固まるまでの梶原、全成、比企、頼家などの粛清は息もつかせないが、なかでも御家人統制の見せしめとなる上総広常(佐藤浩市)の最期はあまりにも理不尽で、見る人の心に強い印象を刻んだ。
ついには父・時政(坂東彌十郎)や義母・りく(宮沢りえ)、三浦義村(山本耕史)、後鳥羽上皇(尾上松也)などの思惑に翻弄されつつ、畠山、和田、実朝、さらには朝廷を倒して義時は頂点に上り詰める。
政子の手による意外な幕引きは、歴史の謎への一つの解であるとともに、時代に弄ばれたあまりにも人間的な悲喜劇にふさわしいものとなった。(加藤久仁)
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余白が語りかけてくるドラマ
木曜劇場「silent」
10月6日~12月22日放送/22:00~22:54/フジテレビジョン
高校時代交際していた一組の若い男女が、偶然久々の再会を果たす。だが目黒蓮演じる佐倉想は、その間に病気で聴力を失っている。また川口春奈演じる青羽紬は、想の高校時代の親友と交際中だ。そこに生まれるさまざまな心の波紋を描いた切ないラブストーリー。
そんな物語を脚本の生方美久、演出の風間太樹らは、この上なく繊細に目配りしながら紡ぎ上げている。だからメインの2人だけでなく、鈴鹿央士、夏帆、風間俊介らが演じる周囲の人物も全員際立った存在感を放ち、一つひとつの場面が記憶に残るものになった。
TVerの見逃し配信再生回数が過去最高となるなど、社会現象となったのもうなずけるところだ。「若者のテレビ離れ」も叫ばれるなか、良質なドラマは十分若い世代にも届くことを証明した作品と言えるだろう。
ただ世の中の盛り上がりとは裏腹に、作品の大きな魅力はタイトル通りその静けさにある。想の作文が示すように、このドラマの一貫したテーマは「言葉」だ。人が互いの思いを通じ合わせるうえで言葉は欠かせない。しかし、すぐに言葉にはならない思いもある。そんなときは、沈黙のなかにそれを感じ取るしかない。いわば、余白が語りかけてくるドラマだった。
そのように、今作にはコミュニケーションの本質についての深い洞察が端々に感じられた。
わかり合うことは、言うほど簡単なことではない。中途失聴者である想は、聞こえる世界と聞こえない世界の両方を知っている。そのことが、今の彼を不安にし、苦しめる。そしてその思いを上手く伝えられず、孤立し自分のなかに閉じこもってしまう。そこには綺麗事では済まない、人間の生々しい姿がある。
しかし、結局そんな彼を救うのもまた言葉だ。声、手話、文字、音楽などだけでなく、最終話に登場したカスミソウのように、この世界には言葉にならない思いを伝えてくれる“物言わぬ言葉”もある。そこに、コロナ禍も経験した現代社会においてこそ見つめ直されるべき、コミュニケーションの困難と希望が描かれていると言ったら、穿ち過ぎだろうか。(太田省一)
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デザインの底辺には平和への希求
ETV特集
「デザインには希望がある~三宅一生のまなざし~」
12月24日放送/23:00~24:00/日本放送協会
2022年8月に亡くなったデザイナーの三宅一生。その昔、筆者が10代の頃にお目にかかったことがあるが、デザインされたファッションだけでなく、ご本人の圧倒的なカッコ良さを鮮明に覚えている。
番組では、ISSEY MIYAKEとして世界に知られる偉大なデザイナーの仕事の軌跡を追うとともに、広島出身で7歳のときに原爆を経験し母親を亡くしている三宅一生の原点にも焦点を当てた。
戦後、芸術の世界に惹かれていった三宅にとって、1952年に広島再建への願いを込めて造られたイサム・ノグチ設計の《平和大橋》に「人を励ますデザインの力」を強く感じたのが、デザイナーを目指すきっかけだった。東京の美大に進むと、学生時代からデザイナーとして頭角を現す。60年代半ばに渡ったパリではファッションを学ぶなかで五月革命に遭遇し、市民が体制への異議を唱え社会を変えてゆく場を目撃。そこに“大衆の時代”を感じた彼は「自分は市民の側の服を作る」のだと考えるようになったという。
手がけたデザインの変遷も興味深い。「衣服とは」との問いを常に抱くなかで、裁断や縫製を極力しない布で身体を包む「一枚の布」というコンセプトが生まれ、無駄のないものにこそ無限の豊かさがあることをファッションで示したことはよく知られる。番組中、年代ごとのショーの映像が見られるのも眼福だった。
歳を重ねるにつれ、若き日には語ろうとしなかった原爆について自らの想いを表明し、平和への祈りを込めた活動に積極的になっていく。核兵器のない世界を訴えたオバマ大統領の広島訪問を促す働きかけも、間接的にではあるが、三宅によってなされたという。
「衣服を作ることは人間と自然への賛歌なくしてありえません。また、その基本には平和を望む心があります」と語る三宅の根底にあり続けた広島と反戦の想い。地球とその未来を見据えて生み出したデザインの数々。そして親しかったクリエイターや友人たちによって語られる三宅一生。あの圧倒的なカッコ良さがどこから来ていたのかが伝わる番組だった。(永 麻理)
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長澤、眞栄田のリアリティ溢れる演技
「エルピス -希望、あるいは災い-」
10月24日~12月26日放送/22:00~22:54/関西テレビ放送
本作は、大洋テレビアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)と情報バラエティ番組ディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)が、約10年前に八頭尾山で起こった連続殺人事件の犯人とされる松本良夫死刑囚(片岡正二郎)の冤罪疑惑の真相を究明する物語である。恵那の元彼で報道部記者の斎藤正一(鈴木亮平)が言うように「どんな小さな判決だって、そこには警察と検察と裁判所の威信がかかっている」ので、冤罪をはらすとは国家権力と闘うことを意味する。権力や忖度、同調圧力に抗う者たちを描くと同時に、テレビ局を舞台にメディアのあり方を問い直すドラマを制作したチームに、まずは拍手を送りたい。
とりわけ渡辺あやの脚本は、一方的に正義の側から悪を糾弾する社会派ドラマにはせず、恵那や拓朗の身体の変容に力点を置いた点が秀逸だった。恵那はニュース番組で真実を伝えてこなかったという悔恨で、拓朗は中学時代にいじめで自殺した友人を見殺しにしたという罪悪感で、それぞれに拒食症や不眠に陥る(繰り返される恵那の嘔吐シーンは印象的だ)。この社会を覆う不透明な霧が、実は心と身体を蝕んでいても、私たちはそれに気づかぬふりをして日々の生活をやり過ごしがちだ。対して恵那と拓朗は、欺瞞的な現実を文字通り飲み込むことができない。彼らは冤罪疑惑の究明をとおして、自分たちの弱さや悔恨に正直になっていくのだ。その意味で、メディアに携わる者がいかに真実に対して〈正直な身体〉でありえるかを問うドラマであったと言える。その身体の変容を見事に体現した長澤と眞栄田のリアリティ溢れる演技には瞠目すべきものがあった。脇を固める岡部たかし、鈴木亮平、三浦透子、池津祥子らの演技も忘れがたい。
恵那と斎藤の取引で決着する最終話は一見グレーに見える。しかし「希望って信じること」という恵那の気づきに鑑みれば、恵那は斎藤が作る未来を信じたのではないかと思う。善玉と悪玉は固定された二項対立ではなく入れ替わりうるということも、本作の重要なメッセージなのだから。(岡室美奈子)
★「GALAC」2023年3月号掲載