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【ギャラクシー賞テレビ部門9月度月間賞】-「GALAC」2020年12月号

火曜ドラマ
「私の家政夫ナギサさん」
7月7日~9月1日放送/22:00~22:57/TBSテレビ

 製薬会社に勤めるメイ(多部未華子)は、若くしてチームリーダーを任せられる優秀な営業職だが、家事が苦手で部屋は荒れ放題。それを見かねた妹が、誕生日プレゼントに家政「夫」ナギサさん(大森南朋)を派遣する。ナギサさんはスーパー家政夫で、散らかっている部屋があっという間に片づき、仕事から帰ってくると極上の夕食が用意されている。おまけに仕事のストレスの相談にも乗ってくれる。働く女性にとって、これ以上のファンタジーはない。
 このドラマの良さは、「メイさん、仕事も家事も完璧にやろうと頑張りすぎないでいいんですよ」というナギサさんの台詞に凝縮されている。会社で認められるためには、男性以上に頑張って成果を出さなければいけない。でも、家に帰れば家事も完璧な「女らしさ」を求められる。ナギサさんの台詞は、そんな呪縛からの解放を示唆している。そのことは、ライバル製薬会社の一見できる営業マン・田所(瀬戸康史)もまた、片づけられない男だったというエピソードで補完されているのではないだろうか。このドラマは家政夫が家事を請け負ってくれる男女逆転のファンタジーだが、将来多くの家庭で男女が家事を分担する未来図をも提示している。
 一方で、主人公は20代で家政夫を雇えるほどの高給取りだし、メイとナギサさんが結婚するロマンティク・ラブ・コメディがゴールになっているなど、いくつか疑問が出てくる点もある。ただ、そういった「ゆらぎ」もまた楽しみたい。2人が結婚したあと夕食を作るナギサさんは夫なのか、家政夫の仕事をしているのか、とメイは戸惑う。メイの母親は、女は自立できるように仕事ができなければならないと言っているのに、30歳近くなっても結婚相手がいないのかとメイに迫るなど、考えされられる点が多い。
 メイとナギサさんはかなり歳の差があるのに、心落ち着く相手をパートナーに選んだ。「きのう何食べた?」など同性愛カップルにも通じる現代の家族の形を示唆しているようにも思える。(藤田真文)

金曜ドラマ
「MIU404」
6月26日~9月4日放送/22:00~22:54/TBSテレビ TBSスパークル

 「404 Not Found」は、インターネット上で存在しないサイトにアクセスしようとしたときに表示されるエラーメッセージだ。この404という数字を冠したドラマ「MIU404」は、見つからない存在を諦めないで見つけ出すドラマだった。
 伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)は、警視庁の働き方改革の一環で作られたという架空の「第4機動捜査隊」(4機捜)に所属し、犯罪者や被害者を見つけ出すべく奔走する。だが、それだけではない。彼らは社会の片隅にひっそりと身を隠して生きる声なき者たちの声に耳を傾け、社会のなかで「いない」ことにされている不可視の人間たちに目を凝らして、必死に見つけ出そうとするのである。
 彼らが探すのは、たとえば第4話に登場する、元ホステスの青池透子(美村里江)だ。裏社会から逃げられなかった人生最後の賭けとして、青池は汚い金を持ち逃げするも銃撃され、空港に向かうバスの車中で息を引き取る。4機捜は、しかし、瀕死の青池が逃げられない子どもたちを自由にするために、奪った金を寄付したことを突き止める。彼女の命がけの「最後にひとつだけ」の希望を、彼らは見つけ出したのである。
 最終話で伊吹と志摩に見つけ出される頭脳犯の久住も、自ら「クズ」「ゴミ」「トラッシュ」を名乗る名前のない人間だ。最終話で久住は逮捕されるが、彼の作るドーナツ型のドラッグの穴のように空洞化した目が、闇の深さを物語る。その背景には震災があることが示唆されるが、真相はわからない。本作は罪を犯した者が、なぜそうなったかにも寄り添おうとする。しかしそれは、生い立ちや育った環境などのわかりやすい物語に回収して、自分たちとは違うと安心するためではない。その証拠に久住は、「俺はお前らの物語にはならない」と言い放ち、安易な理由づけを拒否するのだ。これはテレビに対する批評でもあるだろう。
 最終話で示された二通りの結末には賛否両論あったが、人を殺すスイッチをいかに押さないかを考えさせる優れたリプレイだったと思う。(岡室美奈子)

土曜ナイトドラマ
「妖怪シェアハウス」
8月1日~9月19日放送/23:15~24:05/テレビ朝日

 男に騙され借金を抱え、身も心もボロボロになった主人公・澪(小芝風花)がたどり着いたのは、お岩さん(松本まりか)、酒呑童子(毎熊克哉)、ぬらりひょん(大倉孝二)、座敷童子(池谷のぶえ)などの幽霊や妖怪の暮らす「妖怪シェアハウス」。お菊(佐津川愛美)、アマビエ(片桐仁)、山姥(長井短)、黄泉醜女(峯村リエ)といったゲスト妖怪たちも個性豊かで、ひたすらポップ。澪が彼らとともにさまざまな問題を解決していく痛快なコメディだ。入り口はライトで子どもから大人まで誰もが楽しめるものになっているが、その実、きわめて社会性を帯びたドラマだった。
 物語のベースになっている怪談噺は、抑圧を受けた女性が男性から酷いことをされた恨みから幽霊になるという話が多い。本作でも、主人公は人に嫌われたくなく周りを気にし、言いたいことも言えず、いいように人に使われてしまう女性。そんな彼女を男たちは利用する。例えば、第2話に登場する“カリスマ編集者”は、澪に仕事をチラつかせ肉体関係を求めてくる。そんな彼をぬらりひょんは「パワハラ、セクハラの権化。ミソジニーこじらせ野郎」と断罪し、澪とお菊たちは「権力持つなら人格磨け!」と皿を投げ制裁を加えるのだ。ポップな世界観の根底にフェミニズム的な問題意識が流れ、女性の生きづらさを描いている。
 自由に、あるがままに生きる妖怪たちに触発され、自立していく澪にやがて鬼のような角が生えてくる。“妖怪化”を止めるためには結婚するしかない。上司の編集長か神主のどちらかを選ばなければという終盤の展開には最初困惑したが、本作は裏切らなかった。どちらかと結婚するか、売れっ子小説家になって成功者になるかという選択肢のいずれも選ばず、「枠になんかハマってたまるか!」「成功しなくて何が悪い!」「結婚できなくて何が悪い」「常識なんてくそくらえ」「生きたいように生きて、何が悪い!」と自分の欲求のまま生きる道を選んだのだ。抑圧され生きづらい社会でいかに自分の思うままに自立し生きるのかを痛快に描いていた。(戸部田 誠)

ETV特集
「基地の街にロックは流れて~嘉手納とコザの戦後史~」
9月26日放送/23:00~24:00/日本放送協会

 必見のドキュメンタリーである。ロック音楽を通して沖縄の戦後史を描くという切り口が新しい。ナレーションも、沖縄出身のミュージシャン・Cocco。
 かつて「紫」という人気ロックバンドのドラム、ボーカルとして活躍した宮永英一。コザ(現・沖縄市)にある嘉手納基地所属だったアメリカ兵を父に、鹿児島県の徳之島出身の女性を母に持つ彼は、ミュージシャンとして多くのアメリカ兵とコザの街で出会ってきた。そんな彼の口からコザの街の歴史が語られる。
 そこに、コザの歴史を知る3人の人々を加えて登場させることで、番組がより奥行きのあるものになった。嘉手納基地建設用地となったためにふるさとを奪われながら、生きるために嘉手納基地で働かざるを得なかった女性。戦争による基地の拡充によって経済的恩恵を受けたバーの男性。そしてアメリカ兵による事件・事故や軍用機事故が繰り返されるなか、基地撤去を切望しながら基地の近くで暮らしてきた男性。
 4人の立場は同じでなく、対立関係にもある。だがだからこそ、それぞれの証言を元に再現される1970年の有名なコザ騒動の背景にも当時の沖縄が抱える複雑な事情があったことがくっきりと浮かび上がる。
 一方で、1960年代後半、ベトナム戦争の泥沼化によってアメリカ兵にも動揺が広がる。宮永へのリクエスト曲も、彼らの戦争に対する疑念、反発を託したようなロックナンバーが増えた。そしてコザ騒動の頃には、ベトナム戦争にはっきりと異を唱えるアメリカ兵も現れる。実際に沖縄の人々とともに基地撤去運動にも参加した元アメリカ兵の証言や当時の映像は貴重だ。
 宮永は、今も嘉手納基地のあるコザの街で演奏を続けている。ベトナム戦争末期、アメリカ兵からリクエストされたという望郷歌「San Francisco」を歌う姿が印象的だ。そして「その時代の音楽にこだわるのは時代背景があるから。自分にとってベトナム戦争の話は決して過去のものではない。それを伝えるのは自分の役目」と真剣なまなざしで語る彼の表情は感動的で、深くこころに残る。(太田省一)

★「GALAC」2020年12月号掲載