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【ギャラクシー賞テレビ部門8月度月間賞】-「GALAC」2020年11月号

「有吉の世界同時中継~今そっちってどうなってますか?~」
8月13日放送/19:58~21:48/テレビ東京

 テレビから海外ロケが消えて久しい。新型コロナにより、出入国や撮影ビザ発給がいまだ難しいためだが、その壁にテレビ東京が挑んだ。「素人」と「外国人」に頼り慣れている同局が、現地の人にロケをお任せ。世界12カ国をリモートで結び、海外の今を伝えた。
 収録は日本時間19時58分スタート。有吉弘行らスタジオ出演者が「世界の皆さーん」と呼びかけると、12人の日本大好き素人特派員が大画面モニターに手を振って登場した。コロナで分断されていた世界が視覚的につながり、「すごい!」とハッピーが広がる。トップバッターのフランスはお昼。26歳のクリステルさんが、映画『ハウルの動く城』のモデルとなった建物と、現地の青い空を見せてくれた。特にニュース性はないけれど、今はこういう何気ない日常風景こそ届かないご時世で、スペシャルな感動がある。
 映したスフィンクスがまさかの逆光(エジプト)、潜入したカプセルホテルがお掃除の真っ最中(ロシア)、霊柩車を映したまま回線がダウン(モンゴル)。素人特派員ゆえのトホホの数々も新鮮だ。「誰だよ」「手際悪いね~」「狭小住宅!」。はじめましての外国人に無双の対人スキルでツッコミまくる有吉が、なんだかんだ個性とリポートをしっかり掘り下げる。一流番組がアカデミックに伝えるピラミッドもいいけれど、徒歩5分に住む人がスマホで撮る今のピラミッドもまた、リアルな見応えがあると実感できるのだ。
 いい機材を持ち込んで撮らなければ、人気タレントがロケしなければ、ちゃんとした撮れ高を確保しなければ……。「こうでなければ」という固定概念から離れれば、下準備と勇気次第でコロナ禍でもテレビができることはいろいろあるのかもしれない。
 番組の終盤、「特派員持ち込み企画」として海外の衝撃番組を流すだけのコーナーがあり、これには委員の評価が割れた。「同時中継の挑戦に傷」という意見と「こうでなければ、の固定概念をここでも捨てる潔さ」という意見だ。ほっこり楽しい後味に敬意を表し、ここは好意的に受けとめておきたい。(梅田恵子)

報道特集 戦争と感染症②
「戦争が広げた2つの熱病」
8月15日放送/17:30~18:53/TBSテレビ

 日本軍がガダルカナル島で連合軍に大敗した原因は軍事力ではなく、マラリア対策など衛生管理の差だった――終戦記念日に放送された「報道特集 戦後75年企画 戦争と感染症②」の「戦争が広げた2つの熱病」は、アメリカ軍が分析していたという衝撃的な事実を紹介した。
 このこと自体は、一ノ瀬俊也著『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』(2014年)などにおいてすでに指摘されてきたことではある。しかしコロナ禍の真っ只中で迎えた終戦記念日に、この事実は重いリアリティをもって迫ってきた。NHK以外の地上波から終戦記念日の戦争特番が姿を消すなかで、TBSは終戦75年の特番に力を入れた。そのことに加え、このタイムリーな着眼点にまずは敬意を表したい。
 マラリアは蚊が媒介する。日本は殺虫効果の高い除虫菊の栽培を、戦時中の食糧難のために食糧生産へと切り替えていった。それに対してアメリカは日本から除虫菊を輸入できないとなると、ケニアでの栽培を促進したという。その衛生に対する意識の低さは、しかし、日本軍がマラリアに屈した理由の一端でしかない。
 アメリカ軍は、日本軍は兵士の生命を尊重しないと分析していた。感染者や傷病兵を厄介者扱いし、仲間が殺すこともあったと。結果的に、ガダルカナル島での約2万人の死者の半数以上、さらに太平洋戦争の死者の6割に当たる140万人が、餓死や病死だという。現在のコロナ禍にあって、医療体制逼迫の危機が指摘されながらそこに十分な予算を投入せず経済を優先する政府や、民間の感染者バッシングの風潮など、現在の日本が抱える問題の根っこを、1942年のガダルカナル島に見た思いがする。
 この番組は艦船「矢矧」を襲ったスペイン風邪のクラスターや、戦時下の長崎市に軍用艦が持ち込んだデング熱の大流行、さらに感染の人体実験が行われていた事実を浮き彫りにした。しばしば戦争にたとえられる感染症が本当の戦争と結びついたときの恐ろしさを、私たちは肝に銘じなければならない。(岡室美奈子)

国際共同制作 特集ドラマ
「太陽の子」
8月15日放送/19:30~20:50/日本放送協会

 戦後75年、コロナ禍に苦しむこの夏は、戦争だけでなく、戦後そして今日の社会に続く課題について改めて考えさせられる番組が目立った。終戦の日に放送されたこのドラマは、時代精神や社会常識の束縛のなかで、普遍的な真実とは何かを求めてもだえ苦しむ若者たちの、今日にも通じる姿を静かに力強く描いた。
 大戦末期、京都帝国大学の研究室に、核分裂のエネルギーを使った新型爆弾を作るよう密命が下る。兵器開発を進めていくことに苦悩する若き研究者たち。モデルとなった実話についてもBS1で放送されたが、時代に翻弄された彼らの悲劇に改めて衝撃を受けた。
 物語はこの研究室の学生・修(柳楽優弥)と、その弟で体調を崩し戦地から一時帰郷している裕之(三浦春馬)、建物疎開で住む家を失いこの家に身を寄せる幼馴染の世津(有村架純)の3人を軸に展開する。
 純粋に科学を愛し、苦悩する柳楽の演技が出色。つかの間の休暇、海辺や夕涼みの縁側でそれぞれの悩みや思いが交錯する。3人の抑えた演技が、耐え難い閉塞感のなか、この後何が起こるかわからないという緊張感を高め、裕之が自殺を図るシーンへとつながる。彼らの気持ちを象徴する夜から明け方までの暗い色調のなか、8Kの映像が心の機微をしっかりと捉える。精神的にも追い詰められていく兄弟に対して、戦争が終わった後のことを熱く語る世津のたくましい姿にホッと息をつくことができた。
 科学者として、次の原爆投下地と噂される京都を比叡山から観測しようとする修に、母(田中裕子)は「科学者とはそんなに偉いんかい!」と凛と言い放つ。すべてが戦争目的の時代に、科学者としてどう生きるべきか悩む若者の心の葛藤が、伝統の京都に生きる母との言葉少ない会話で浮き彫りになる。
 戦争は終わっても核兵器の脅威はこのときに始まる。修たちが佇むのは今日の原爆ドームだ。
 当時の若者の心情に真摯に寄り添い、今の若者に伝えようと苦闘した三浦春馬さんの冥福を祈る。(加藤久仁)

NHKスペシャル
「忘れられた戦後補償」
8月15日放送/21:00~22:00/日本放送協会

 戦後75年の今年も、史料や証言を掘り起こした優れた検証番組がいくつか放送された。そのなかでも、未解決の、そして現代日本社会につながる問題を告発しているという点から、「忘れられた戦後補償」を評価したい。
 忘れられたのは、民間人の戦争被害に対する国の補償である。「全国戦災傷害者連絡会」など空襲で障害を負った人たちは、生活支援などの補償を長年国に求めてきた。しかし、民間人の戦争被害を補償する「戦時災害援護法」が国会で14回廃案になるなど、民間人を補償する法律は作られていない。
 他方、軍人・軍属に対しては、1953年に軍人恩給が復活するなど手厚く支援されている。軍人・軍属と民間人の補償の差は、日本遺族会の強固な組織化、旧陸海軍の士官が厚生官僚となったこと、そして戦犯の名誉回復を含む彼らの世論工作に負うところが大きかった。
 同じ敗戦国でも、旧西ドイツでは1950年に「連邦援護法」が制定され、民間犠牲者120万人、占領地からの引揚者1200万人も援護の対象となっている。ドイツの歴史学者は、「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎となるもの」「すべての国民に対する責任を果たすため、戦争を経験した多くの国で民間人への社会システムが整えられた」と言う。
 そう、結局はその点に尽きると思う。国家の責務として、市民個人個人を平等に援護するという理念が日本には存在しないのだ。総力戦によって国民を動員しながら、満洲など植民地開拓に動員した、空襲で傷害を負った人々は、戦争が終わると放りっぱなし。補償を求める空襲被害者のもとには、「欲張り婆さん」「乞食根性の人間」などと書いた匿名の手紙が多数送られてきた。
 この状況って、最近どこかで経験しなかったか。そう、コロナ禍の現代日本社会の現状、国と市民の関係そのままだ。民間人の戦争被害の補償は、日本が真の民主主義社会となりうるかを問うている。(藤田真文)

★「GALAC」2020年11月号掲載