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【海外メディア最新事情】-「GALAC」2020年10月号

「コロナ危機」がもたらす
欧州の団結と亀裂

ジャーナリスト
稲木せつ子

戦後最悪の経済危機を救え!

 7月21日、午前5時31分に、ブリュッセルから発信されたツイート「合意!」は、瞬く間にリツイートされ、その内容が世界に報じられた。
 発信者は、欧州連合(EU)のミッシェル大統領で、足かけ5日間のマラソン交渉の末、加盟国の首脳が、パンデミックで打撃を受けた欧州経済を救う大型「復興基金」(約92兆円)の設立に合意した瞬間だった。
 新型コロナ禍にもかかわらず、各国の首脳は「直接交渉」のためにブリュッセルに集まった。当初、オーストリアメディアは、「物別れの見通し」を報じた。クルツ首相や北欧諸国(倹約4カ国)が、基金の規模や運営について異を唱えていたからだ。会議は何度も中断され、個別の交渉や作戦会議の模様がツイッター上で各陣営から発信された。「週末で決着しなければ仕切り直し」という予想を裏切り、首脳たちは現地に留まり、会議を続けた。粘った理由は、この交渉にEUの将来がかかっていたからだ。
 ギリシャの財政危機や、5年前に表面化した移民問題などをめぐり、EU内には縦(南北)と横(東西)の亀裂がある。イギリスのEU離脱も、その延長線上の出来事とも言える。
 復興基金は、連合が掲げる「相互補助」の精神がこれまでにない経済危機においても実践されるのかを問う、試金石だった。
 どの国も自国の救済支援でお金がない。基金の原資を、借金(EU債)して用意する構想に慎重論も出た。「38年の共同ローン」を組むわけで、EU債は27カ国が2058年まで借金の返済を続ける。
 世界経済が大不況に向かうなか、首脳らには選択肢がなかった。合意しなければEUやユーロの信頼が大きく揺らぎ、世界恐慌のきっかけを作っていたかもしれない。妥協の末に成立した合意だが、21日は、どの首脳も会議の成功と「団結」を称えてブリュッセルを去っていった。
 倹約国らの妥協により結論が先送りされたのが、EU内の新たな火種となっている「法の支配」問題だ。日本での報道が少ないが、「報道の自由」にかかわる話なので触れたい。

報道・思想の自由化か、団結か

 要因を生んだのはハンガリーだ。極右思想が指摘される同国のオルバン首相は、さまざまな形で政府の方針に異を唱えるプレスの締め出しをしてきた。
 手口がロシア的で、まず国営放送をお抱えにし、大手民放や新聞、独立系メディアを同氏の「お仲間」に買収させ、支配下に置いている。
 最後の砦と目されたオンラインメディア「INDEX」も、オルバン首相の息がかかった実業家や法律家に支配されるようになった。今年6月に社説で「独立性の喪失」を訴えた編集長が翌月に解雇。突然の解雇を不服とした編集者ら70人が、揃って抗議辞職をした時は、首都で大デモが起き、イギリスのBBCも報じている。
 国境なき記者団の「報道の自由ランキング」によると、ハンガリーの順位は今年2つ下がり世界89位(EU27カ国内では26位)だ。
 同様の圧力は大学にも加えられている。冷戦終結後に設立された中央ヨーロッパ大学は、ジェンダー研究を認めないとする、同大学を狙い撃ちした新規制の影響を受け、やむなく一部のキャンパスを昨年ウィーンに移転させている。
 オルバン側の圧力は、言論の自由や民主主義を重んずるEUの基本的な価値観を損ねるものだが、本人は意にも介さず、7月はじめに出先大使館に訓令を出し、駐在国のメディアに対し「ハンガリー批判をしたことを詫びるよう」大使名で異例の要請を出させている。
 一連の対立から生まれたのが「法の支配」で、オーストリアなどの「西欧」諸国がEUの基本理念=「法の支配」に従うことをEU補助金の受給条件とすると提案している。
 首脳会議の場では、EUの方針に従わなければ、補助金や助成の減額やカットありとする条項合意に入れようとしたようだ。また一過性の復興基金だけでなく、通常予算からの補助金や助成への適用も目指したとされる。
 オルバン首相は真っ向から反発し、パンデミック下でメディア制限がされている会場からわざわざ外に出て、何度もメディア取材を受け、同国が不透明な差別を受ける可能性を指摘し、「共産主義的な動き」と批判した。
 確かに、「法の支配」の遵守を誰が評価するのか、その基準は何かなど、曖昧な点があるのだが、メディアや思想に圧力をかけ続けている側の反論としては説得力に欠ける。
 欧州議会では、「法の支配」問題で明確な結論が出ていないことについて、多くの議員の間から不満が出た。予算カットをめぐる評価なども分かれ、首脳間の合意は、スピード承認にはならず、9月の議会で再審議される。
 一刻も早い復興基金の立ち上げが求められるが、「法の支配」についてはしっかり議論を深めてほしい。ハードルを容易に超えられない国は、ハンガリー以外にも、ポーランドやブルガリアなどがある。
 だが、支配の適用範囲を民主主義や言論の自由に限るのか、汚職や移民問題などまで広げるのかで、各国の思惑も、趣旨も変わってくる。
 「法の支配」が相互監視のような「パンドラの箱」にならないことを願いつつ、今後の欧州での議論、特にメディアの自由の扱いについて注目していきたい。

*1 オーストリア、オランダ、デンマーク、スウェーデンだが、合意直前にフィンランドが加わった。
*2 毎年公表されるランキングで、対象は180の国・地域。ちなみに日本は66位。
*3 1991年にハンガリー出身の資産家ジョージ・ソロス氏が創設した。同氏がオルバン政権の難民政策を批判したことで対立が深まり、「大学いじめ」が始まった。

~著者プロフィール~
いなき・せつこ 元日本テレビ、在ウィーンのジャーナリスト。退職後もニュース報道に携わりながら、欧州のテレビやメディア事情等について発信している。

★「GALAC」2020年10月号掲載