等身大の悩みは「しんどい」のか
「G線上のあなたと私」(TBSテレビ)
木村隆志
今や等身大の悩みを扱ったドラマは「しんどい」のか。当作は3つの世代を超えた友情と恋を描いた物語。寿退社の当日に婚約破棄されたアラサーの小暮也映子(波瑠)、兄の元婚約者への恋心を募らせる大学生の加瀬理人(中川大志)、夫に浮気され姑との関係に悩む中年主婦の北河幸恵(松下由樹)が「大人のバイオリン教室」で出会い、練習を重ねながら心を通わせていく様子をじっくり映し出していた。
3人の悩みは、恋、仕事、家族と誰にでもありうる等身大のもので、しかも年齢なりの痛みを伴っている。このような「鋭さこそないものの、ジワジワと胸を締めるような痛み」は、どうやら現代の視聴者にとってやっかいらしい。1年前に放送された「獣になれない私たち」がそうだったように、当作も「生々しくて見ていられない」という声が目立ち、3世代の目線から楽しめる作風ながら視聴率も振るわなかった。その誰にでもありうる年齢なりの痛みこそリアリティの証であり、本来は共感を誘うものだったはず。しかし現在ウケているのは、痛みを自分に置き換えられないほどケレン味たっぷりの作品であり、それらが大半を占めている。
もちろん作り手側も無策ではない。也映子のキャラクターに悲壮感をまとわせず、むしろ飄々とさせていたし、随所に脱力感を覚えるシーンを盛り込むなど、痛みをやわらげようとしていた。それでも視聴者の分母が広がらなかったのは、時代の流れなのだろうか。事実として今秋は、前作よりコミカルに寄せた「まだ結婚できない男」、変わり者のOLにひたすら不幸を背負わせた「同期のサクラ」、禁断愛・余命わずか・ファンタジーを盛り込んだ「4分間のマリーゴールド」、ニートを悩みとみなさない「俺の話は長い」など、当作以外に等身大の悩みを感じさせる作品はなかった。リアリティよりケレンに走れば見る側に苦しさを感じさせないが、与えられるカタルシスも目減りする。作り手が視聴率至上すぎるのか、視聴者のドラマを見る力が落ちているのか。どちらにしても、このままでは作品の幅は狭くなっていく。
締め切りの関係で最終話は見ていないが、どこにでもいる男女が一歩ずつ前進する姿を描いた「ひさびさの連ドラらしい作品」という印象は変わらないだろう。若い理人に「好き」の先を求めてしまう自分に悩む也映子、年の差が不安な也映子を安心させられない自分が不甲斐ない理人。どちらも地に足のついた人物像だから素直に「ハッピーエンドが見たい」と思えたし、1ミリも「しんどい」とは感じない。
~著者のつぶやき~
3人のうまくいかない日々、ぎこちない関係、そろわないバイオリン演奏が、人生の難しさとシンクロしていた。時が1990年代なら、間違いなく「大人のバイオリン教室」への申し込みが殺到していただろう。
★「GALAC」2020年2月号掲載