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【ギャラクシー賞テレビ部門11月度月間賞】-「GALAC」2020年2月号

BS1スペシャル
「女優たちの終わらない夏・終われない夏」

11月10日放送/19:00~20:49/日本放送協会 かわうそ商会 NHKエデュケーショナル

「お母ちゃんの骨は口に入れるとさみしい味がする」。広島・長崎で被爆した子どもたちや母親の手記を朗読する女優たち。年齢を感じさせない凛とした立ち姿と、朗読会を12年間続けてきた気概に、彼女たちの心の清純さ、一途な思いをひしひしと感じた。
被爆手記という深刻な内容に、渡辺美佐子、高田敏江、日色ともゑ、大原ますみ、山口果林といった、かつて一世を風靡した女優たちがなぜ取り組むのか。番組は、体力的な理由から今夏を最後に朗読会「夏の会」に幕を下ろす彼女たちの地方公演に密着。一人一人の半生を織り交ぜ、会に寄せる思いをあぶりだす。
渡辺美佐子は、東京の学校で出会った少年が疎開先の広島で被爆死したことを後に知り、彼に対する思いが出演の根底にある。朗読会場で彼の妹の孫と談笑した後、去っていくときの後ろ姿が実にカッコいい。さすが大女優。その渡辺が明かす。「手記にある言葉で最も多かったのが『おかあちゃん』と『天皇陛下万歳』だった」。この矛盾を現代に突きつけようと、彼女たちは踏み出したのだ。
一方、パートナーの死に打ちひしがれ自殺さえ考えていた山口果林は、台本を読み、命を粗末にしようとしていた自らを恥じたと明かす。壮絶な手記は出演者に衝撃を与え、人生を見直すきっかけにもなったようだ。公演の裏方もこなす彼女たちの姿は女優のイメージを変えさせるが、そこには戦争の惨禍を後世に伝えようとの確固たる信念がある。とはいえ手記の朗読は、あくまで被爆者の代読でしかないという。どんなに考え抜いて演じても「書いた人の何分の一にも達しない。非常に苦しい作業」(川口敦子)。
それでも伝えようと踏ん張り続けた彼女たちに、これ以上この大仕事を任せるのは酷だ。出演者のなかには地方を一人で回る者もいる。そうであるなら学生や一般の人々が朗読会を催してもいいのではないか。そう遠くない未来、若い俳優たちのなかに「夏の会」の志を引き継ぐ者が現れてほしい。それこそが番組全体を通してのメッセージだろう。(旗本浩二)

目撃!にっぽん
「激論の“トリエンナーレ”~作家と市民の75日~」

11月17日放送/6:10~6:45/日本放送協会

テロ予告や脅迫の電話が相次ぎ、開幕からわずか3日で展示中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」。従軍慰安婦をモチーフにした「平和の少女像」などに抗議が殺到した。そもそも表現の自由について議論を深めようという企画展が脅迫によって中止となったことで、社会に大きな波紋が広がった。
この番組が月間賞に選ばれたのは、展示の再開に向けて立ち上がったアーティストたちにスポットをあて、彼らが市民と本音で議論を交わす姿を丁寧に追いかけることで、「芸術とは何か」「表現の自由とは何か」を私たちにわかりやすく問いかけてくれたからである。
企画展の中止から3週間後、アーティストたちは誰でも参加できる対話の場を開設した。SNSを通じて展示を批判する市民にも参加を呼びかけた。駆けつけた市民からは「表現の自由とか偉そうに言っているけど、尊い憲法を悪用した政治的プロパガンダだ」「自由を獲得したかったら自らのお金と場所でやるべき。税金を使うのはおかしい」との声があがった。一方、アーティストたちは「美術作品というのは一つの解釈やメッセージで何かを伝えようというプロパガンダではない。作品を通してさまざまな解釈や意見が生まれてくるもの」と自らの思いを語った。その後、アーティストたちは電凸の殺到に対応するため自らコールセンターも開設。展示の再開に反対する河村たかし名古屋市長にも対話を呼びかけ、「市民の多様な意見を担保するのが行政の責任ではないか」と迫った。「不自由展」は物々しい警備のなか65日ぶりに再開された。
アーティストと市民との間の議論は平行線ではあったが、アーティストたちは自分たちの表現に対してさまざまな反応が返ってきたことの喜びや満足感を語っていた。そして番組は「異なる意見や感情をどこまで尊重できるのか、アーティストが向き合おうとした問いは、私たちの社会に向けられているのかもしれない」と締めくくった。「表現の自由」があるからこそ議論が生まれ、お互いの違いを理解し合えるのだろう。それが民主主義の根幹である。(出田幸彦)

ザ・フォーカス
「さよなら前田有楽~成人映画館最後の日々~」

11月17日放送/25:20~25:50/RKB毎日放送

1954(昭和29)年から続いてきた映画館が閉館した。北九州・八幡の有楽映画劇場。通称“前田有楽”と呼ばれ、昭和から平成の65年間、70年代からは成人映画専門館だった。戦後の復興を支えてきた八幡製鐵所のお膝元に、当時は映画館が20近くあったという。そのなかで唯一生き残ったのがこの映画館だ。閉館を迎えるまでの日々を丁寧に追って、昭和の空気を感じさせる映画館の起承転結を見る思いがした。
閉館の理由は、アダルトビデオの普及などによる観客の減少や映画館をひとりで切り盛りする館長の後継者がいないことだという。閉館を惜しんでここを訪れた人たちのなかに女性客や女性出演者の姿が目立ったのには驚いた。東京からやってきた女性もいて、必ずしも地元育ちばかりではない。女性たちがそれぞれの形で別れを惜しむ姿が、実に明るく印象的だった。
映画館のなかで長年手つかずだった場所からは大量のポスターや看板、さらには当時フィルムを運んでいた自転車などが発見された。どれもが劇場ゆかりの品で昭和の空気を感じさせてくれるものばかり。館長は有楽の名前を残したいとの思いから、“前田有楽”のファンで昭和文化に魅せられた青年にこの品々の管理を託すことにした。給料袋片手の客で満員になった時代から閉館まで、時代の文化や空気そのものが失われてゆくプロセスに目を向けた番組制作者の取材姿勢に拍手を送りたい。
制作したのはRKB毎日放送。番組のデスク、プロデューサーはいずれも女性で、プロデューサーはJNN前ソウル支局長である。女性コンビは九州地区各局のドキュメンタリー番組を担当している。
RKBの位置する福岡県は、中国大陸、台湾、朝鮮半島のいずれにも近く独自の文化がうごめく真っ只中にある。それぞれの地域との関係も昭和の時代とはかなり違っている。そのさなかで語られるドキュメンタリー論。今後もこの番組のように、九州各地のさまざまな現実に目を向けながら、庶民の小さな日常をきめ細かく描いていくことを期待している。(岩城浩幸)

アナザースカイⅡ
「出川哲朗」

11月22日放送/23:00~23:30/日本テレビ放送網

ゲストの「海外にある第2の故郷」や「憧れの地」などゆかりの地に赴く番組で出川哲朗が向かった先はクロアチア。今も「旅芸人」として月の半分近くは東京から離れ、日本全国はもちろん世界各地で過ごしている彼の原点だという。現在はアニメ映画『魔女の宅急便』の舞台のモデルになったのではないかと噂されるほど美しい街並み。だが、出川が25年前に訪れたときはそうではなかった。
出川は「進め!電波少年」(日本テレビ)の国連事務総長特別代表(当時)の明石康に明石焼きを食べさせたいというロケでこの地にやってきた。彼の記憶では「ボスニア紛争」真っ只中のボスニア・ヘルツェゴビナにも行ったと思っていたが、実際にはあまりに危険すぎて国境付近までしか行けなかったことが今回のロケで判明する。当時、「電波少年」は視聴率30%を超す人気番組。ゲストで海外ロケに行ったのは出川が初めて。大抜擢だった。このチャンスを逃すわけにはいかないと命の危険を顧みず企画を成功させようと必死だった。そのときに印象的だったのが街の人々が一切笑わないことだったという。しかし現在、クロアチアからボスニアの国境に歩いて向かう出川に街行く人たちがみんな笑顔を返してくれる。「平和最高!」と国境線をまたぐシーンは印象的だった。
かつて街の人たちが「一切笑わなかった」という記憶は、若手芸人として余裕のなかった自身の心象風景も表れているのだろう。そう思うと胸が締め付けられる。25年を経て、かつて果たせなかった「ボスニアの人たちに自分たちのお笑いを見てもらう」という企画を実行。出川のリアクション芸に最高の笑顔を見せるボスニアの子どもたち。
「僕は笑わせようが笑われようが関係ないですよ。笑ってくれさえすればもう何でもいい」という出川のリアルな原点がよく伝わってきた。「ここが僕のアナザースカイ」という決め台詞が通行人に邪魔されたりして、何度繰り返しても、キマらないのも彼らしくて良かった。(戸部田 誠)

★「GALAC」2020年2月号掲載