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第58回ギャラクシー賞テレビ部門大賞 林遣都スペシャルインタビュー

『GALAC』9月号掲載記事ロングバージョン
第58回ギャラクシー賞テレビ部門大賞
林遣都スペシャルインタビュー

「俳優という仕事の、やりがいと醍醐味。」

インタビュアー 西森路代

受賞作を見直して、
いろいろな思いがよみがえってきた。

――「世界は3で出来ている」のギャラクシー賞テレビ部門の大賞受賞おめでとうございます。受賞をどのような形で知られましたか?

 ノミネートされていることや、中江(功)さんが登壇されるということは聞いていたので、映像配信を家でリアルタイムで見ていました。まさか大賞とは思っていなかったので、飛び上がるほどうれしかったです。緊急事態宣言中にオファーをいただいたときの気持ちを振り返りながら、感慨深い気持ちで見ていました。

――受賞後にドラマを改めて見られましたか?

 受賞後は、すごく興奮していていたんですけど、落ち着いてきたときに自分で録画していたものを見直しました。一緒に録画されているCMも見ていると、あの頃は映像作品が試行錯誤しているなかで、新しいものが求められていた時期だったんだなと。僕自身、自粛期間中で俳優という仕事がどうなっていくのか不安を抱えて日々を過ごしていたり、俳優という仕事のやり方を変えないといけないのかと考えたりしていたなかでいただいた仕事だったので、当時この仕事に関われて、すごくうれしかったことを思い出しました。

――三つ子の兄弟をひとりで演じ分けるということで、その撮影方法も気になります。

 僕もどう撮影していくのか想像できなかったのですが、進めていくなかで、助監督さんが目線の先に立ってくれて、そこから自分が吹き込んだ声が流れてきて、そこに向かってお芝居する形になりました。少しずつ着替えながら、入れ替わりながら大事に撮っていきました。

――時間的な余裕はあったんですか?

 時間は限られていましたが、やっていくうちに理想がどんどん高くなっていって。難しかったのは、いつ相手の台詞が終わるかということを、自分の中で計算しないといけなったことです。やっぱり、本当に三人がそこにいて会話しているように見えるということが一番の願いだったので、そのテンポや空気感を出そうとすると大変で、最後のほうは燃え尽きた感じでした。

――そんななかでやってたんですね。兄弟三人の顔つきもぜんぜん違うように見えました。

 放送後に、そう言っていただけることが多かったんですけど、自分ではわからないというか……。この作品に限らず、いろんな役をやらせていただくなかで、どれだけその人物に時間をかけて向き合えるか、どれだけその人物のことを知ったうえで演じられるかということでやっていました。僕がオンエアを見て感じたのは、あの自粛期間中にテレビ局のスタジオに行って、スタッフさんがいるなかで演じられたことは大きかったと思います。照明さんの光のあて方ひとつで表情も違って見えますし。役作りは一人でできるものではないなと強く感じました。

水橋脚本だからこそのやりがいと、
三つ子への共感。

――「世界は3で出来ている」も、朝ドラの「スカーレット」も脚本が水橋文美江さんですが、どのようなやり取りをされましたか?

 水橋さんの台本が届いたときは、なかなかハードルの高いものをいただけたなと思いました。期待に応えるためには、どれだけ自分のなかで膨らませるかだと。でも、その作業が楽しかったですし、それが水橋さんの作品を演じるときのやりがいのひとつです。水橋さんの台本は、台詞や言葉を通して、登場人物の生きてきた背景を見ている方たちに想像させることのできるものです。でも、それを誰が演じるかで違うものになっていくので、本当に役者の経験が試されると感じました。

――実際に、三人のキャラクターを想像して作り上げて演じたところはありますか?

 劇中に出てくる「春日屋麺メン」の社長とのやりとりや、母親の存在に関しては、自分のなかで具体的に想像して、それを実際に経験したことだという気持ちを三人のなかに持って演じられたらと思いました。実際、バターラーメンのシーンでは、台本に、「オリジナリティを持って、自分で考えて演じてください」と書いてありました。それで、三人は子どものころにどんなやりとりをしていたんだろうと考えました。台本を読んでいるなかで、一番時間がかかるところでした。そう書いてあったことで悩みましたけど、この三人だけの何かがあったんだろうなと想像することはすごく楽しくてわくわくしました。そういう指示は朝ドラのときにもあったんです。

――三兄弟がぜんぜん違うキャラクターでしたが、個人的に自分に近い性質だなと思う人はいましたか?

 誰にも似てないですね。でも、やっぱりどの役も自分の感性や性格を投影しないといけないこともあって、いないといいつつも、自分のなかに少し存在する要素が三人それぞれにあったりもします。

――ドラマを見ているとコロナ禍になって意外と生きやすかった次男の勇人と、コロナ禍での生活に知らず知らず翻弄されて、その気持ちを吐露する長男の泰斗と、いかにも末っ子らしい三雄がいて。どの人の実感が、自分でも共感できるところでしたか。

 そう考えると次男の勇人が感情移入はしやすかったです。最初に演じる役だからというのもあるけど、僕自身も次男で上に兄がいるので、勇人が、東京で自由に生きている人という印象があり、そういう部分は共感できました。

――勇人の、空気を読まないからこそ、オンライン会議やテレワークが性に合っているというようなところはいかがですか?

 その辺りの台詞を言うのは少し勇気がいりました。大変な時期に自分だけうまくいってるような台詞は見ている方がどう感じるのかと。でも、そこは水橋さんと中江さんを信じて演じました。

――見ていて、やっぱり長男の泰斗の台詞に心を持っていかれました。コロナ禍になってしばらく経つと、やっぱりいろいろ忘れてしまっている自分がいるなと思って。

 改めて見てみると、今を生きる様々な人たちに寄り添った話ですよね。撮影している当時は、三人をどう演じ切るかでいっぱいいっぱいでした。

――終わった後、もっとこうしたいという思いも出てきたりしましたか?

 短い撮影のなかで、最大限の準備をして臨んだつもりではあったんですけど、やっぱり演じていると、体力や脳が追いつかないところもあったので、その悔しさというものはありました。

自分で考えて演じることの、
ワクワクと緊張感。

――そうだったんですね。少し話が戻りますが、さきほど、朝ドラ「スカーレット」でも、自分で考えて演じる部分があったとのことでしたが、どんな場面だったんでしょうか。

 僕が演じた信作は、ヒロイン・喜美子の幼馴染で、幼少期は内気な少年だったのに、ヒロインが大阪に行ってまた滋賀に帰ってくると、モテまくりになっている設定で、脚本にはそこに何があったのか書かれてなかったんです。でも、モテまくりの信作は、やたらと「このー!」っていうのが口癖になっていて。それで、「このー!」っていうのはなんだろうと自分で考えたんです。結果、これは信作のマイブームなんだろうなって。考えてみると、小学校の頃にも、仲間内だけの流行りがあったし、そういうことなのかなと。女の子にモテはじめて、その子たちに「このー!」って、かつてのマイブームの言葉を言い続けているのはなぜなんだろう、そもそも、その始まりってなんだったんだろうと、いろんなことを組み立てて想像するのが楽しくて。そういう作業が、「スカーレット」のときもあったんです。

――演出の中江さんとは、過去にも「教場」でご一緒されていますよね。

 ご一緒したというか、中江組に飛び込んでいったという感じだったんですけど、現場の雰囲気にしびれました。役者もスタッフも、ひとつの方向を向いて、活気と意気込みをもって進んでいました。自分がメインとなる長いシーンを撮っていただいたときも、その場で台本を超えて生み出されるものや演出にワクワクしました。この組でもっと演じたいという思いが強くあったので、まさか、水橋さんと中江さんの作品に声をかけてもらえるとは。本当にうれしかったです。

――「教場」の主演は木村拓哉さんで、いろんな方に取材をすると、やっぱり皆さん、木村さんの演じているときも、そうじゃないときも、存在感が凄いと言われていたんですが、やはり林さんもそう感じられましたか?

 本当に理想的な現場を監督と木村さんとで作り上げている印象でした。緊張感はあるのですが、大人数いる撮影現場でも、ひとりひとりと向き合ってくれる。だからこそ、チームワークが生まれるし、常に一日中、緊張感を切らさないように、一緒に現場に立ち続けてくださって。良い作品が生まれる現場って、こういうことが必要なんだなと思いました。僕の撮影シーンの山場になるところでも、木村さんの撮影がない時間でも見てくださっていて。本当にうれしかったです。

――今日のインタビュー前に中江さんに少しお話を伺ったら、現場でいろんな要求を出したときに林さんから返ってくるものが面白いと言われていました。

 そういうときに、慌てないように、自分で人物像をふくらませておくことを大切にしています。ときに、テンパって悔しい思いをすることもありますし、あのときの要求に対して、こうしておけばよかったなと思うことも多いです。今回もオンエアが終わったあとも、気になるところだらけでした。

――終わったものに対して、満足を感じるよりもああしておけばと思うことは多いんですか?

 いろんな提案をしていただき、芝居の細かい部分を見ていただける監督との作品は、自分にプラスになることが多いです。なんとかできたなって、その場では満足できるんですけど、自分が現場で満足したときのほうが実は後でオンエアを見てみるとよくなかったりもするんです。反対に、できなくて悔しいと思ったときのほうが、オンエア後に良いと言ってもらえたりすることもあって。でも、満足しないことに越したことはないと思うので。

応援してくれる方のためになるような作品に
これからも関わっていきたい。

――現場ではアドバイスをもらうことが多いんですか?

 何も言われないこともありますし、そういうときは、自分から歩み寄らないといけないと思います。最近は、監督、共演者の方とは意識的にお話をするようになりました。いろんな役をやっていくうちに、お芝居がわからなくなる瞬間があって、そういうときに、人の意見を大事にできる仕事の仕方をしていきたいなと思うようになりました。

――お芝居がわからなくなる瞬間というものもあったりするんですね。

 まだまだ自分が目指している俳優像になれていなくて、むしろ逆の方向にいってしまっているのではないかと感じることがあるんです。いろんな役をやると、変化をつけようとしてしまったり。

――やりがいのある役を演じることで満足してしまうということもありそうですもんね。

 自分が際立つ役は楽しいんですよね。僕自身も演じることが好きなので、自分とかけ離れた役を演じることは楽しいんですけど、それはときに危険だと感じることもあります。だから、その人の人柄や経験からくる佇まいが役から見えてくるような、そういう俳優を目指したいなと思っているんです。自分の価値観や知識だったりが、容赦なく映し出されるような役に挑んでみたいです。ずっと活躍し続けている役者さんは、その人の人柄や、経験からくる佇まいが役柄よりも先にみえてくるというか、そういうものがしっかりとついてくる俳優を目指さないとと思っています。

――30代になった今、演じてみたい役というものは。

 少しずれてしまうかもしれないんですけど、今までは、自分を知ってもらいたい、自分のお芝居を見てもらいたいという思いが強くありました。野心が強かったというか。だからこそ、誰かと比べてしまったりということもあったんです。でも最近は、自分の思いは端に置いて、見てくれる方をもっと大事にやっていきたいなと感じています。というのも、ある番組で、僕を応援してくださってる方が取り上げられていたんですが、その方が僕の出ていた作品を見て命が救われたと言ってくださったんです。それを見て、僕自身も俳優をやっていてよかったなという気持ちが持てました。応援してくれる方のためになるような作品に携わることが自分の仕事のやりがいや醍醐味だと思えたんです。これからは、そういうことに意識を持ってやっていけたらと思うようになりました。

――林さんは、11年前、19歳の頃に『GALAC』の表紙を飾っていて、そのときに同年代のライバルの俳優さんに対しての思いも語られていました。今もそういう同世代を意識する気持ちはありますか?

 それは常にあります。そこから逃れることはないと思います。その思いにとらわれすぎてもいけないけれど、そういう思いを持ちながらやっていくことは悪いことじゃないですし、これからもそう思いながらやっていくと思います。(終)

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