オリジナルコンテンツ

【ギャラクシー賞テレビ部門8月度月間賞】-「GALAC」2023年11月号

殺した側の心を殺す、戦争の罪

NNNドキュメント’23
「でくのぼう~戦争とPTSD~」
8月13日放送/24:55~25:25/山形放送

虚ろな目をした無表情の老人。声をかけられても反応もない。定職にもつけず周囲からも「でくのぼう」と言われ一生を終えたこの父を、息子の黒井秋夫さんは蔑んできたという。そんな父の姿に別の意味を感じ始めたのは、ベトナム戦争帰還兵たちのドキュメンタリーを見たときだった。PTSDの症状に苦しむ帰還兵たちの姿に、「おやじもそうだったのかもしれない」との思いがよぎったという。父の遺品を初めて見直し、写真にうつる精悍な表情、力強い手書きの文章、自分が知る父とはまったく違う姿に驚いた。父はなぜ生還した後、抜け殻のような半生を送ることになったのか。父が負った心の傷について考え始めた秋夫さんは、同じ思いを持つ人々と「PTSDの日本兵と家族の交流館」を2008年に設け、昨年初めて一般公開の会合を開いた。
1932年から中国戦線に6年間従軍した秋夫さんの父自身は、戦場での体験話を一切語らなかった。番組は、彼と同じ部隊に1年前に入隊した元憲兵などの証言を通して、上官の命令で中国人への拷問や殺害を繰り返し、爆撃に晒されるうちに、醜く壊されていった若い兵士たちの内面を描いていく。それは秋夫さんの父も目にし、体験した戦場の現実だったろう。
戦争中、陸軍は精神疾患に陥った兵士を国府台陸軍病院に収容し、ひそかに診療を受けさせていた。その数は1万人に上る。千葉県東金市の浅井病院にそのうちの約8000人のカルテが保存されている。カルテには自らが行った殺戮からさまざまな症状で苦しむ様が記録され、なかには故郷に帰ることができぬまま戦病者療養所で一生を終えた者もいるという。
日本の戦争でPTSDの症状に陥った兵士たちの実態は、まだきちんと検証されていない。戦争とは人間を殺すことだ。だが殺すという行為によって心を壊し、生き残った時間も奪うような精神の損傷を負うという現実は軽視されてきた。終戦から長い年月を経てようやく認識され始めた人間の心の戦禍。それは現在に、これからに繋がっていく警告である。(古川柳子)

神回降臨。草刈正雄の真実

ファミリーヒストリー
「草刈正雄~初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは~」
8月14日放送/19:30~20:42/日本放送協会 NHKエンタープライズ

「非常に大きな反響」と「要望の多さ」を理由に、早々に翌月の再放送が決まった、いわゆる“神回”。視聴者が共有した草刈の“ヒストリー”は、それほど衝撃的であった。生まれたときから母子家庭で、アメリカ兵の父親は朝鮮戦争で戦死したと聞かされて育った。その母が亡くなって13年、写真でさえ見たことがない父を知るために、出演を承諾した。そして70歳を超えて初めて、本当の物語を知ることになる。
NHKのリサーチ力の凄さが、奇跡的な番組を支えた。草刈の記憶する父の名“ロバート・トーラ”だけを頼りに「あらゆるスペリングを検討」。さらに過去の雑誌インタビューからノースカロライナ州が郷里という、本人も忘れていた事実を発掘。「ロバート・H・トーラー」の軍歴に辿り着き、DNA鑑定を経て97歳の姉も探し出す。半年以上の取材で判明したのは、実は父は朝鮮戦争から生還し、しかも2013年まで存命であったことだ。福岡の築城空軍基地に駐留していたロバートは、バスガイドとして働く草刈の母スエ子と恋に落ち一緒に暮らし始める。しかし命令を受けたロバートは帰国、スエ子は一人で子どもを産み、育てた。ロバートはその後、別の女性と結婚している。
97歳の伯母ジャニタは、ロバートの西ドイツ赴任時に、渡米を望むスエ子からの手紙を受け取ったことと、報いることができなかったことへの悔恨を告白する。見ていて気持ちいいのは、真実を知った草刈の清々しい態度だ。母と父が愛し合っていたことを素直に喜び、初めて写真で見る父親の顔に涙目で見入る。
資生堂の専属モデルとして時代の顔となり、二枚目俳優として長く活躍、近年「真田丸」での名演と「美の壺」でのコミカルな演技と、われわれは長いこと彼を見てきている。皆が羨んだ美青年の陰の部分と、すべてを知ったカタルシスを、番組は一気に駆け抜けた。番組終盤でジャニタの手紙が読み上げられ、草刈は渡米を決意する。放送日時が決まり次第案内されると番組ホームページで予告された、その「草刈正雄 アメリカ訪問・特別編」への期待も高まる。(並木浩一)

戦争はラジオを”悪魔の拡声器”にした

NHKスペシャル
「アナウンサーたちの戦争」
8月14日放送/22:00~23:30/日本放送協会

エンドロールが流れた後のラストシーンが秀逸。一度行ったことを消すことはできないし、人の心にはしっかりと残っているもの。ましてや影響力が絶大な当時わが国唯一のラジオ放送である。
戦前の社団法人・日本放送協会のアナウンサーたちが、まだ日の浅いラジオ放送での表現のあり方について懸命に模索するなか、時局は戦争へと突き進んでいく。聴取者一人ひとりの心に寄り添うべく「虫眼鏡で調べて、望遠鏡でしゃべる」ことを心がけている和田信賢(森田剛)も、米英に対する開戦後しばらく続いた華々しい戦果を受け、勇ましい「大本営発表」で国民精神を鼓舞する役割を積極的に担ってしまう。
しかし戦況が悪化してくると、自らの伝えていることが事実と違うのではないかと気づき、悩むことになる。遠くの人と繋がる夢の機械だったラジオが、国策への協力のため戦地で謀略放送を行い、フェイクニュースに手を染め、“悪魔の拡声器”と化す。
学徒出陣の実況を担当するにあたり、学生たちと腹を割って語り合い、彼らの本音に触れた和田はどうしても放送することができない。実況を後輩に託し、「壮士ひとたび去りて復た還らず」「死にたくない」「この思いを封じて」……降りしきる雨の中、一人切々と語るその言葉は学徒の心の叫びである。
戦意高揚を叫んでいたが、実地に悲惨な戦場を見て戦争の愚かさを悟る館野守男(高良健吾)、占領地・フィリピンでの放送を最期まで守り抜く米良忠麿(安田顕)などの実話に基づいたエピソードが心を打つ。
このドラマでは、アナウンサー以外の登場人物は最小限にとどめられており、われわれは戦争の被害者であり、悪いのは軍人だという醜い言い逃れは出てこない。アナウンサーたちの葛藤を通して、一般庶民の戦争へのかかわり方が見事に活写される。人は誰も自分の生きた時代に対する責任からは逃れられないのだ。
平和が戻った焼け跡で、和田を見た子どもが呟く……「大本営発表」。見る人すべてが心にとどめ、自戒とすべきラストシーンである。(加藤久仁)

”玉砕”と偽った狂気

ETV特集
「“玉砕”の島を生きて(2)~サイパン島 語られなかった真実~」
8月26日放送/23:00~24:00/日本放送協会 NHKエンタープライズ グループ現代

玉砕とは「玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじて、いさぎよく死ぬこと」だと、辞書にはある。
戦争末期のサイパン島。米軍の攻撃を逃れて、ジャングルの洞窟に隠れた民間人の家族の集団に敗残日本兵が合流した。兵士の理不尽な命令に従う悪夢のような日々が始まり、恐怖と絶望が人々を襲う。
逃走の邪魔になるからと、わが子を自分の手で。赤子が泣くと米兵に気づかれるからと、乳飲み子を母が自ら。皆で死ぬと決めて、水で溶いた青酸カリを回し飲みして。――すべて軍隊の命令だったと、奇跡的に蘇生して命拾いした人が、取材に対して語った。
絶望的な状況、信じがたい事態だが、日本の兵士たちの態度や行為を「玉が美しく砕ける」などと形容することはできない。まして、兵士たちは名誉や忠義のためにいさぎよく死ぬことなど、考えてもいまい。民間人を犠牲にして、戦況を好転させようとしているのだろうか。狂気の果てだとも見える。
番組タイトルの玉砕の文字に付けられている「“ ”」がそれを端的に語っている。サイパンの戦闘では日本軍4万人が全滅したというが、日本の軍隊ではこれを玉砕と呼ぶのだろうか。
民間人の死者1万人、軍隊に強要された死もあり、断崖から海へ身を投げた絶望の果ての自死もあった。4000人の先住民も5人に1人が亡くなったという。
番組のナレーターでもある太田直子ディレクターが1994年から続けている取材である。隣のテニアン島の取材も含めて、奇跡的に生き延びた人々との交流はほぼ30年に及ぶ(2年前に放送したETV特集「“玉砕”の島を生きて~テニアン島 日本人移民の記録」は第59回(2021年度)ギャラクシー賞優秀賞受賞)。
取材に応じてきた人々は奇跡的に生還し、サイパンでの辛い記憶を心の内に秘めて、戦後の長い歳月を生きてきたのである。すでに亡くなられた方も多い。
その記憶のすべてを取材者に語ったとき、どんなに強い決意で臨んだことか。証言者たちの意思の力に敬意と驚嘆を覚えるのである。(戸田桂太)

★「GALAC」2023年11月号掲載